新薬の開発は常に続く

医療に欠かせないものが「薬」です。人の身体に投与し、一定の整理反応を引き出すのが「薬」の役割です。その中には実に多様な「素材」があります。元素がすべて解明されていても、その組み合わせは無数にあり、私たちの身体の反応も実にさまざまです。

薬を用いて医療を行うことは古来広く行われていました。それは民間療法などに見られる「このような時はこのようなものを服用するといい」というようなものまでさまざまです。「薬」として私たちが知る古いもので現在でも広く親しまれているものの中に「漢方」があります。成分を抽出して組み合わせるのではなく、身体にいいとされる素材を探し出し、組み合わせて服用する「薬」の元祖ともいえる存在です。科学が発達し、さまざまな成分を組み合わせた薬が開発されるようになってからも「漢方」は廃れることはなく、東洋医療の根幹として君臨し続けているのです。

薬の作用の根幹は、「これを食べたら身体がこんな反応を示す」というような基本的なところにあります。例えば身体を暖めたい時に「生姜」を口にするとなんだかポカポカしてきます。漢方薬もこのようなシンプルな作用を組み合わせ、綿密に計算して発達していったものでしょう。私たちの身体に影響を及ぼす成分は沢山あり、それにより身体の中に救う病気に対して有効に作用させようとするものです。

いつの時代も科学が廃れることはありません。私たちはまだまだ新しい薬の開発に明け暮れています。ただ風邪を治すための風邪薬でさえも、新しいものの開発は止まりません。風邪はウイルスの複合的な作用でしかなく、根治できるものではありません。最終的には身体の免疫がウイルスを駆逐するのを待つしかないというものです。ですが、その「身体の作用」を助長するための効果的な薬が沢山あります。さらには私たちのニーズの分だけ薬はあるもので、「風邪であることを忘れられるほど強力な薬が欲しい」ということであればそのようなものが開発され、子どもにも優しい風邪薬が欲しいということであればそのようなものが開発され、胃に優しいとか眠くならないというようなものも期待され、次々と登場しています。

私たちは自分のたちの身体の特定の機能を増強するための技術を「薬」によって手に入れているのです。「夜眠れない」から睡眠薬があり、精神的に安定しないから精神安定剤があります。それらはすべて別々の薬であり、私たちの叡智の決勝でもあるのです。それらの薬を用いることは私たちにとっては当たり前であり、さらに便利に、さらに期待した効果の薬を求めているのです。

確実に医療の一角を担っているのが「薬」です。世の中の元素がすべて解明されても、身体の中のことがさらに深くわかったとしても、新しい薬の開発は終わることがありません。私たちが生きている限り、病気が世の中に存在している限り、薬の存在はなくなりません。薬への私たちのニーズはなくならないのです。薬の存在からわかるのは、結局は自分の身体がどのように働いて、どのように病魔を駆逐してくれるのかということです。病気を克服するということは、自分の身体が病魔に打ち勝つということであり、自分の身体がとても大切なのだということが改めてわかるのです。

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