ジェネリック医薬品とは

医薬品の開発には費用がかかるものです。医薬品の開発はとても長い年月をかけて行われます。ただ作るだけではいけません。どのような人に対しても使用できるという「確証」を得なければいけません。

確証を得るために行われるのは臨床試験です。実際に投与してみて、期待する反応を得られるかどうかということを試すのです。これには実際の患者や、モニターとして集められた被験者が当たります。それらの試験で蓄積した実践的なデータに基づいて、「この薬は夜に出しても良いのか」ということが測られ、審査を経て私たちが服用できるようになるのです。

薬の服用で真っ先に思い浮かぶのが「副作用」です。期待される効果を得ることができる代わりに、副次的な効果が現れることがあるというものです。それらは時に「気持ちの悪い」ものであったりもするでしょう。ですからすべての薬はそれらのことをすべて加味した上で審査されているものなのです。そのような審査を経て市場に出回るまでには膨大な費用がかかっています。それらは販売時の価格に反映されます。

「薬は高い」ということの内訳はほぼそれらの「開発時のコスト」です。薬の原価自体は大きなものではないのです。それを開発するために投じられた費用を回収するために、高いのです。ただ、そのようなコストをかけなければ危険でとても市場には出回ることはないのです。私たちが安心して服用できるようになるためのコストなわけです。

ジェネリック医薬品はそのようにして販売されてからある程度経過し、それらの薬のノウハウの保護期間が過ぎた医薬品です。開発元以外のメーカーでもそれを作ることができるようになっていて、コストを押さえて同じ成分を持つものが製造できるようになったものです。中身自体は同じなので、それまで「高価」だった医薬品でも安価に市場に出回ることができます。これらは主に発展途上国に対して期待されているもので、通常では高すぎでとても一般に用いることができなかったものでも、ジェネリックになればその国の医療に組み込めるということです。

医薬品自体はそれを開発した企業の資産ではありますが、人の命を支える大切なノウハウでもあります。その医薬品の開発日の償却ができたのであれば、その後は「暴利」になるのです。人が仕事にする以上、医療もビジネスですが、ですがそれによって経済的にゆとりのない人が十分な医療を受けられないのは間違っています。そのようなしがらみを打破することができるのがジェネリック医薬品です。

決して「廉価版」ではなく、内容はまったく同じものであることがポイントです。すでに長く使用されて、人体に対して安全であるということも実証されているのです。それらの医薬品を最低限度の価格で販売することができるジェネリック医薬品は、世界の医療を救済するかもしれないと期待されているものです。

医療を求めているのは私たちだけではありません。同じ人間である以上、さまざまな国の人が医療を必要としているのです。私たちが開発した技術を求めているのです。私たちはそれらの医療を世界の誰もが用いることができるようにする義務も負っています。発展途上国だからといって医療が不満足でも仕方がないということは間違っているのです。

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