医療は常に発達する

私たちは考えることをやめません。学ぶことをやめません。「知」の探求は、私たちにとって必然であり、生きている証でもあります。人類でいることの証といってもいいでしょう。

私たちは負けず嫌いです。自分たちに治せない病気があれば、全力でそれを解決しようと手を取り合うのです。そのようにして私たちは文明を強固にしてきました。医療だけではありません。もっと高い建物を作りたい。もっと強固な素材を作りたい。もっと便利な生活が送りたい、もっと速い処理能力のパソコンを作りたいなど、すべての「願望」は「探究心」になり、それに関わる人を発奮させ、それに関わる人を突き動かし、新たな技術を発展させてきたのです。医療も同じです。「治せない病」があることは許せないわけです。

それはある意味「知の戦い」です。未知のものに対する戦いです。私たちの知的探究心とプライド、解明するまで諦めないという姿勢が、未知の病を「未知」ではなくすことを繰り返してきたのです。その病で苦しむ人がいる限り、私たちはその戦いをやめることは絶対にありません。その戦いはずっと続くものであり、その戦いを通じてさまざまな新しい知識や技術を得るのです。それはやがて私たちの暮らし、私たちの健康に活かされることになるのです。それらを繰り返して今日の医療があるのです。

それは私たちに「希望」をもたらします。「今」は治すことができない病でも、「未来」にはどうにかなっているかもしれない。だから命を諦めないということです。生きていれば、そのうち完治するかもしれない。それが「闘病」です。病と戦うということです。「戦う」ということには「意志」が必要ですが、私たちは「希望」によってその意志を維持することができるのです。希望は私たちの心を強くするもっとも有効な栄養素なのです。希望が知識や技術の発達を促し、希望が私たちに生きるチカラを与えるのです。

いくら合理的に考えても、論理的に考えても、最終的に行き着くのは私たちの意志です。私たちの意志がすべてを決め、私たちの意志がすべてを左右します。医療の発達は、それ自体が私たちの選択なのです。健康的、誰もが幸せに生きていけるようになること。それが究極的な医療の課題であり、医療に期待されていることです。私たちはそれを実現するために日々学んでいるのです。医療に関わる人も、そうではない人も、医療の発達を喜んで迎え入れるものなのです。

医療は「クローン」の問題など倫理的に考えなければいけない次元に差し掛かっています。人か人の命を左右するだけではなく、新しい命のカタチを左右することすらもできるようになっている今、用いても良い技術や知識と、倫理に反するとされる技術や知識があるとされるようになりました。故人の遺伝子からまったく同じ人を作ることができてしまうかもしれない今、私たちは「何が必要で、何に触れてはいけないのか」ということを深く考える必要があるのです。正しい医療とはなにか、正しい知識とはなにか、自分たちの命を定義する改まった機会を求められているのです。私たちは自然に対してもおこがましさを持たず、「命」のかたちを考える局面に達しているのです。

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