完璧な診療はないということ

誰にとっても、自分の身体、自分の大切な人の身体は重要です。誰もが健康でいたいものです。毎日元気に暮らしたいものです。健康でいることで、より仕事に邁進できたり、日々の楽しみを実践したりすることができるのです。

そんな私たちの身体を診断する「医療」とはとても重要なものです。私たちにとって医療とは簡単に理解はできないことであり、ただ自分たちの健康を左右する重要なものです。医療に対する期待は年々重みを増しています。より完璧に、より便利に、時には「容姿」さえも変えることができる医療に対して、私たちはある種の「魔法」のような感覚を抱いているのかもしれません。「医師の手にかかれば、どうにかなるだろう」ということです。

ですが、医療は私たちと同じ「人」が蓄積してきた「叡智」そのものです。そんな医療に対して過剰な期待や「なんでもできるだろう」という盲目的な思い込みは時には危険になることもあります。怪我をしても病院で治せる。健康を損ねても薬でどうにかなるなど、医療に対する期待から時に私たちは無理をしたり、危険を顧みない行為に走ったりすることがあります。それが「危険」なのです。本来であれば日々の健康が大切で、怪我をしないように安全を考えながら暮らすことが大切なのですが、「病院にいけば良いから」という理由で不摂生な生活に陥ってしまったり、危険な行為を続けてしまったり、私たちは道を誤ることがあります。

そのようにして案の定身体を壊してしまったり、怪我をしてしまったりした際、壮絶な痛みと共に後悔するものですが、それでも病院でどうにかなると思っています。ですが、実はその症状や怪我の程度によっては最新の医療でもどうにもならないこともあるのです。最新の医療を持ってしても、元通りにすることはできないということもあるのです。それは医療の限界であると同時に、私たち人間の身体の限界です。私たち人間の身体が限界を超え、修復できないレベルを超えてしまったら、それは完治せず、「後遺症」として私たちの身体に暗い影を落とすことになります。生活に支障が出るほどの後遺症であれば、その後の人生が変わってしまうのです。

医療に期待しすぎる危険性はここにあります。「医者であれば治せる」と考えること自体が危険なのです。ですが、医師にも治せないものはあります。無くなってしまった身体の部位を再生することもできませんし、失ってしまった命を再生することもできません。医療が発達したからといって、身体を大切にしなくても良いというわけではないのです。むしろ、医療が発達したから身体を大切にしなければいけないのですが、そのようなことに対して想いを巡らせる人が減っているのではないでしょうか。私たちは日々自分の仕事に追われています。現代人の誰もが、「時間がない」、「忙しい」と感じているのです。そのような中、真っ先に失われてしまうのが自分の身体をいたわることです。「他の人はもっと頑張っている。自分も頑張らなければ置いていかれてしまう」、そのような焦りが私たちを仕事に向かわせます。少々無理をしても気持ちだけで乗り切ることができると勘違いしてしまい、無理難題に対して応えようとしているのではないでしょうか。

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