自分のカラダを過信しない

体力だけには自信がある人は沢山います。学生時代からずっとスポーツをしていて、社会人になった今でも週末は身体を動かして過ごすなどという人は多いでしょう。

ですが、運動さえしていれば身体は安泰だと考えることは間違いです。アスリートであっても病気にはなります。怪我をすることもあります。絶対に何事も起こらないという人などは存在しないのです。「生きる」ということは常に外界や身体の内側からの何らかの「リスク」をはらんでいることなのです。「絶対に健康的である」という人はこの世には存在しません。

不思議なもので、健康に気をどれだけ配っても病気になる人はなります。不摂生な毎日を続けている人でも全然病気にならないということもあります。健康食品や栄養剤などは巷に溢れていて、さまざまなものを試す人もいるのですが、それだけで病気にならないわけではないのです。「運動しているから大丈夫」、「健康的な食事を心がけているから大丈夫」ということはないのです。人の身体に限っては「絶対」ということはあり得ないのです。ただ、それらの事を気にしている人ほど、「自分に限って」という考えを持っているものです。「自分に限ってそんなことはない」という根拠のない自信があるものなのです。

その気持ちが「病院には行かない」という選択肢を選ばせてしまうのです。「自分は健康だから病院には行かなくても平気だ」という盲信が、重篤な状態をもたらすことになります。病気も怪我も、予測できるものではありません。健康的な食生活によって防げるのは「生活習慣病」のようなものです。そしてそこにまつわる重大な疾病です。それらも絶対に回避できるようなものではなくて、「リスクを軽減できる程度」だということをしっかりと自覚しましょう。

病気になってしまうときは誰もが「自分がなぜ」とか、「自分に限ってこんなことになるとは思わなかった」などと考えるものです。ですが怪我と同様に疾病もいつどこでその危機に直面するかわからないのです。予防はできて絶対ではないということです。ですからこまめに自分の身体をモニタリングすることが大切です。こまめに自分の身体をチェックし、何か異変はないか、自分では気がつけない病気の兆候はないかと探るのです。

体力と疾病は別のものではあります。ただ、治療の段階になって、それまで蓄積した「体力」がモノを言う局面もあるかもしれません。体力があること事態は意味のないことではなくて、歳をとって身体が衰えた際や、思い疾病の治療の際に「メリット」として作用する場合が多いです。病気の発生率に体力はほとんど関係ありませんが、病気になってからの治療に役立つのです。ですから「身体を鍛える」ということは意味がないことではないということを覚えておきましょう。いざというときに体力がモノを言う局面があります。そして、代謝の衰えはじめた身体を、「運動」で目覚めさせるという効果も期待できます。身体を動かすことが減ってしまった現代人は、意識して運動することも必要なのです。ただ食べて寝るだけ、というような生活を繰り返していては、「病気になりたい」と言っているようなものなのです。

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