高齢化社会の病院とは

高齢になると身体のさまざまなところに不調をきたすようになります。体力の低下も顕著ですし、伴って抵抗力などが落ち、風邪に罹りやすくなったり、簡単なことで命の危険を伴ったりするものです。

現在、私たちが暮らす日本では高齢者の方が増えつつあります。「高齢者の方」と表現するとまるで自分は関係ないようなイメージを持ってしまうかもしれませんが、私たちの誰もが高齢化します。私たちの誰もが歳を重ね、体力が衰えていくのです。それも、遠い未来ではありません。確実にそうなる日は近づいているのです。

すでに高齢者が多い地域というものが存在します。人口の大半以上が高齢者で、若者が少なくなっている地域が存在します。そのような地域の病院ではある減少が起こっています。病院が、お年寄りで溢れかえっているのです。別にお年寄りに「病院に行くな」というわけではありません。ただ、地域のコミュニケーションの場として、「病院」が高齢者で溢れかえっているのです。高齢者にとって、少しの体調の異変が命とりになることもあります。早く診察を受けていれば済んだことが、放置し続けたが故に重篤な事態を招くということもあります。

ただ、現在ではあまりにも高齢者が多すぎて、まるで専門の施設のような様相を呈していることがあるのです。

「医療費」というものはその全額を患者が負担しているわけではありません。働いている世代であれば「医療保険」というものを支払うはずです。それらは集約され、この国の医療費の足しにされています。まったく病院に足を運ばない人も、健康保険は納めています。それらはまわりまわって診察を受けるすべての人の医療費の足しにされているのです。その中にはもちろん高齢者の分も含まれています。

高齢者に通院を自粛せよというわけではないのですが、あまりにもその現象が顕著であるため、健康保険の制度が破綻しつつあるのです。これは私たちの社会があたらしい制度を求めていることを象徴しています。今の医療費は、現役の私たちが支えています。ですが、その「現役」になるべき人が年々少なくなっていっているのです。これではいくら医療が効率化されても、低コスト化されても、追いつきません。

だから私たちはまず「定年」の年齢を引上げました。もっと長く「現役」でいられるようにしようというものです。もっと長く現役でいて、もっと長く働こう、社会を支えようというものです。実際、これまでの定年に達した人であってもまだまだ働けるという人は多くいます。まだまだ現役で頑張れるという人は沢山いるのです。

ですがそれだけですべてが解決するわけではありません。国の医療費の負担分が少なくなる事態に陥るかもしれません。そうなった際、必要なときに病院にいくお金もないということになってしまうかもしれません。そのようになってしまうと、私たちは現役のときにいくら貯金できるのかということを考えなければいけません。景気が少し上向きになりつつあるとはいえ、すべての人が一生涯安泰なだけお金を稼ぐということはできないのではないでしょうか。

私たちは難しい局面にあります。どこまで働き続ければいいのか、どれだけお金を稼げばいいのか、誰もかわらないのです。

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