早期発見が命を救うこともある

病気によっては発見が遅れることで致命的になるようなものもあります。発覚し、検査後病気が断定された時点ではすでに「遅い」という状況も考えられるのです。

そのようなことにならないためには、日頃の健康管理が大切です。日頃から自分の身体がどのような状態にあるのか見極めることが必要です。それは「今日は体調が良い」、「今日はなんだか身体が重い」などというようなシンプルな感覚で構わないのです。そのように「自覚」することを続けていることで、「調子が悪い日が続く」ということになれば身体の異変を疑うこともできます。

不思議なもので、自分の体調を自覚しなければ「今日は疲れているだけなのか、それとも何か他に原因があって調子が悪いのか」ということがわからないものなのです。そのようなことを通じて「検査しよう」と思い立てるかどうかが、運命の分かれ道といってもいいでしょう。

また、企業に勤めていれば年に一度の「健康診断」が義務付けられている場合もあります。そのような制度にしっかりと従うことで、少なくとも年に一度は自分の身体の様子を客観的に測定することができるのです。ただ、そのような「企業」に所属していなかったり自分で企業したばかりであったりすると、そのような「機会」を得られないこともあります。「機会」がないのでおざなりにし、「体力には自信がある」と自分を過信してしまうことで病気を見つけるチャンスを逃すということも大いにあるのです。発覚した時には時すでに遅く、致命的な病状になっているということも考えられます。

意識したいのは、「病気は誰にでも起こる」ということです。原因は人それぞれです。生活習慣に起因している病気もあれば、健康的な暮らしをしているのに罹ってしまう病気もあります。遺伝的なものなのか、まったく原因不明なのか、それはわかりません。ただ、「一度も病気になったことがない」という人などはこの世にはあまりいません。誰もが多かれ少なかれ身体を壊し、それを治療しながら生きてきたのです。「健康」は理由なく害されるものです。健康は突然奪われるものです。それに備えることができるかどうか、来るべき自分の身体の異変に気がつけるかどうかが、運命の分かれ道なのです。

私たちはどこか「知らなければ存在しない」、「目をつぶればそれは存在しない」と考えたくなる性質を持っています。先送りにしたり、なかったことにしようと考えたりするものなのです。ですがそのようなことで気持ちを誤魔化したとしても、自分の「身体」は誤魔化せません。病気はそこにあって、体調は確実に悪化していきます。やがて生活することも困難な状態に陥ってしまうかもしれません。いつかは、そのようなことになるのです。

目をつぶってきた体調の異変が致命的な病気の前兆であった場合、自覚した瞬間に手を打っていればどうにかなったかもしれないのです。ですが、先延ばしにしたが故に治るものも治らないという事態になってしまったのかもしれません。それは自分の命を自分で削るという行為です。自分の可能性を自分で抹消するという行為です。いくら医療が進歩しても、診察しないことには病気は特定できません。診察しないことには治療はできないのです。

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