人は誰もが健康的で文化的な生活を送る権利があります。ただ、私たち人間も「生き物」ですから、体調を崩したりすることは多いものです。私たちにとって「健康」とは「財産」でもあるのです。

そんな私たちの健康を支えるのが現代医療です。私たちは日々働きます。世の中にはさまざまな仕事があるものですが、身体がどうでもいいという仕事はありません。肉体労働であっても、頭脳労働であっても、私たちに必要なのは健康的な肉体です。「健康」は「精神」にも影響を与えます。身体の具合がおかしいと、精神的にも悪影響があるのです。病気になってしまうと、仕事などには集中できなくなってしまうものです。病気は外因性のものから原因が不明で、かつ身体の内側から発生するものまで多岐に渡ります。一生涯を健康体で過ごすのは私たちの理想ではありますが、なかなかそのようにはいかないもので、誰もが何らかの病に罹るものです。

そのようなとき、また健康だったころのように元気に働けるようになるためには、それらの病気を治療する必要があるのですが、人の身体の中というものは専門的な知識がなければ治療などは臨めるものではないのです。私たちの身体はまるで小宇宙のような様相を呈していて、筋肉ひとつ、細胞ひとつとっても最先端の医療が賄わなければいけない領域です。それら身体のことを一手に担う「医療」に今求められているのは、私たちが必要以上に気にする「身体のこと」を私たちの思うとおりに回復させるということです。

私たちの「寿命」は日に日に長くなっています。私たちは何歳になっても働けるようになる必要があります。身体が動く限り、まだまだ社会に貢献していく必要があるのです。それは少子高齢化という、実際の減少として発生している日本の人口問題にも大きく関わります。私たちは長く生きることができすぎてしまっていて、限りある資本、限りある財産、限りある仕事を奪いあうという状態に陥っているのです。それでも生き続ける必要があります。企業においての定年の長さが延長され、さらに私たちは長く働くことを期待されています。

医療に求められているのはそのような私たちが「働ける」素地を整えることです。デスクワークにしても、肉体労働にしても、私たちに求められているのは健康です。さまざまな外的要因、 内的要因が起因して起こる体調の変化を乗り越えられるだけの「叡智」が必要なのです。

医療はそれ自体が私たちの長い歴史が蓄積した知恵であり、叡智そのものです。人の身体に特化することで、私たちの健康をずっと担保することが医療の責任であり、求められていることです。そんな医療もまた、日々進歩していて、より私たちが健康体でいられるように、重篤な病気から復帰できるように、体制を整えているのです。今の医療が進化した時代と、そうでもなかった過去の時代では、人の寿命自体が違います。長く生きることでより多くの「生きた証」を残すことができるようになったのです。私たちの知的活動そのものが、それらの積み重ねが、「文明」であり「文化」であり「社会」です。医療は間接的に世界自体を作っているといっても過言ではないのです。これからもますます医療に期待がかかることは間違いありません。

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