それ、本当に病気ですか?

私たちは自分の体調の変化に敏感です。少し「いつもと違う」という感覚を覚えると、自分の体調に異変が起きているのではないかと不安になるものです。気にしだすとキリがないもので、ただ自分では的確な診断などはできないものです。

そこで私たちは医師の診断を仰ぐことになります。問診からはじめ、聴診器やその他の検査によって私たちの身体の中で起きていることは医師の手によって暴かれていきます。その結果、何か悪い病気に罹っているのだとしたら、そのまま治療に専念したり、通常の生活を維持しながら並行して治療を行ったりという「闘病」の生活がはじまります。

一度病気になってしまうと、それらの病気が完治するまでに相応の時間を要することになります。病気というと私たちは暗くて思いイメージしか沸かないものです。自分の命さえ奪いかねない身体を蝕む病気は、私たちにとって生きるための障害でしかありません。そんな病気から解放されるためには、それも辛いものになるかもしれない「治療」を続けざるを得ないものです。一般的な闘病のイメージが、私たちにとってはあまりにも壮絶なものであるため、「早く見つければ大事にはならないのではないか」という考えが先に走ります。その結果、私たちの足は病院に向くことになるのです。

そのようなネガティブな「イメージ」と私たち自身が感じる「体調」によって、私たちは「自分が病気ではないか」という恐怖にかられて医師の診断を受けに行くですが、それがあまりにも頻繁だったり、何事もないはずなのに医師の診察を受けるのが日常的になってしまったりするケースがあります。病院に行くのがクセになってしまっている人がいます。ただ気圧が低いだけで頭痛になる人もいます。風邪をひきやすい人もいます。冷たいものを口にするとすぐ身体を壊す人もいます。「体調」の在り方は人それぞれの個性といってもいいもので、それらの「個性」はあまりにも多岐に渡るものなのです。

私たちは日々「自分の身体」と向き合う必要があります。人の身体はちょっとしたことにすぐ左右されるものです。雨が降るだけで気持ちが重くなり、体調もそれに引きずられるということはよくあるものです。それらの体調の変化に対して、「いつも感じだ」と気にしなくても済む人もいれば、必要以上に気にする人もいるものです。

ただ、医師はカウンセラーではなく、自分の体調を自在にコントロールしてくれるような存在でもありません。自分の体調は自分で面倒見るしかなく、日々の暮らしや食生活が大いに関係していることであるのに、医師に対して「どうにかしてくれ」というのはいささか無茶なのです。それらの要望を100パーセント聞き入れることなどはできるわけもなく、また問診したからといって体調が改善するわけでもありません。

身体のことは医師に聞くのが一番ではありますが、度を越すといつの間にか「毎日のように病院に通っている」ということになりかねません。「お金を払うのだからいいじゃないか」ということではなく、「病院」は気圧の変化や冷たい飲み物に左右されたあなたの身体の生理現象に対しての有効な対処法を持たないのです。病院に通うことがクセになっていないかどうか、今一度思い起こしてみましょう。

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