長い療養後、社会復帰できるか

病気によっては根治するまでに時間がかかるものもあります。長期に渡る治療が必要な時があります。完治するまで社会から離れなければいけないということも事態としては起こり得るでしょう。

治療をしている間は自分の病気が根治することだけを願い続けるものです。健康でなければ何も始まらないですし、失った時間を取り戻すことすらもできません。ただ治療に専念すべきです。そのようにして身体の健康を取り戻し、社会復帰できる体制を整えることがまずは専決です。ただ、治療が進行し、闘病の終わりが見えてくると「自分はまた社会に復帰できるのか」という不安が頭をよぎることになるでしょう。

それは健康を取り戻した自分の「身の振り方」ということになります。状況としては単純で、学生であれば治療中学業から離れていたから授業についていけるかどうかが心配だということになりますし、社会人であれば、自分の仕事はあるだろうかという心配になります。入院し、長く治療すればそれは誰もが抱く不安です。学生であればいくらでも勉強することで取り戻せるのですが、社会人であればさまざまなバランスの上にその時の仕事が存在していたわけで、入院中にもしかしたら同輩に追い越されているかも知れませんし、速い速度で流れるビジネスの世界では何が起こっているかわからないものです。

ですが、重要なことはそのような目先のことではないのです。自分の「命」と、その時の「仕事」を天秤にかけてみてください。命がなければ働けません。命がなければ、どのような可能性もゼロになってしまうのです。そのための治療ではなかったでしょうか。少しずつ積み重ねた地位というものがあるでしょう。仕事をすることで少しずつ得てきたものもあるでしょう。それが闘病によって崩れ去るのは虚しいですし、悔しいことです。それが病気ではなく、誰かに責任がある「事故」である場合はなおさらです。

だからこそ「自分の働く場」が残っているかどうかということが気になります。ですが、一般的な職場では入院したくらいで人を遠ざけません。たとえ重要なポストから外れてしまったとしても、働く場は用意してくれるはずです。地位を失ってしまったとしても、またそれを取り戻せばいいのではないでしょうか。生きていれば、時間はまだまだあるのです。失ったものを取り戻すための時間を、治療によって得ているのです。そう考えれば、復帰後にがんばろうと思えるのではないでしょうか。

ビジネスというものは冷酷なものです。仕事というのは思い通りにはいかないものです。さまざまな取り組み、さまざまな人の思惑が交錯して、危ういバランスのうえで成り立っているものなのです。そのようなバランスが自分の健康で害されてしまうと非常に残念です。ですが、どのような可能性も、どのような仕事も、どのような生活も、健康がなければ成立しないものです。健康でいることがまず大前提で、その大前提が脅かされてしまったから入院したのではないでしょうか。その闘病によって失うものもあれば、また得るものもあるはずです。

何を大切だと考えるか、何にこだわるか、それを今一度思い返してみてください。本当に大切にしなければいけないのは目先の仕事でしょうか。

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