薬がキライ?だけど治療のため

適切な医療の実践のために、どうしても必要なのが「投薬」です。薬は身体の特定の作用を助長したり、特定の病原菌の働きを抑えたりする役目を持った重要なものです。

これらの「薬」はさまざまな経路で身体に投与されることになります。経口投与であったり、点滴であったりするでしょう。私たちが「薬を飲む」という言う行為事態は「経口」です。薬を口から飲み込み、身体の自然な消火吸収作用で期待した効果を得ようとしたものです。この「服薬」は、どうしても適正な医療のためには避けることはできないもので、日頃薬が嫌いな人でも、いざ治療となれば避けることはできません。医薬品の数々はそれ専用の効能を持っていて、それが身体に投与されることが治療の大前提であることがほとんどです。

経口ではあまりありませんが、例えば「手術」をする際には間違いなく「麻酔」が必要です。外科的手術とは身体を切り開き、身体の中の特定の部分に手を加える医療ですが、身体を切り開く際には激痛が走るものです。通常であれば「大怪我」と形容できる処置を、外科的医療では行います。それは治療に必要なことでもありますから、状況によっては避けることはできないものです。ですが、何の薬も投与せずにそれらの処置を行うと、人は発狂するほどの痛みを感じることでしょう。それらの外科的処置が終了してからも、その処置の際に生じた傷は痛みを発します。一度身体の奥底まで切り開いた傷跡です。何も対策をしなければ、その痛みは24時間患者を襲うことになるのです。

そのような治療上避けなければいけないことを実践できるのが「薬」です。手術後の「痛み止め」などは服薬しないという選択肢はあり得ません。ずっと身体を襲う痛みに、私たちは耐えられません。そのような「どうしても」ということに対してのフォローが可能なのが医薬品なのです。ですから、本当に必要な局面では「嫌だ、嫌いだ」などと言っている場合ではないのです。服薬しなければ想像を絶する事態が待っているのです。

身体に投与する医薬品に「ムダなもの」はありません。傷ができたらその傷が細菌によって可能しないように抗生物質を投与します。特定の身体の機能を増強したり、逆に鎮めたりするためにも医薬品が用いられます。それらの医薬品を甘んじて受け入れることが、円滑な治療への第一歩です。「どうしてもいやだ」、「薬は飲まない」ということを貫くと、治療は滞り、病状は悪化するだけでしょう。医療をサポートする医薬品の数々は、私たちにとっては得体の知れないものであっても、医師にとっては自分の医療のサポート役として欠かせないものになっているのです。

「治療」とはどういうことなのかを考えてみたいものです。身体が壊れてしまった時に私達自身が何を望むのかを考えてみたいのです。また健康的に暮らしたい、以前のように元気に働きたい、そのようなことを考えるのではないでしょうか。そのようなことを考えた時に、目の前にある薬がその第一歩だと感じられないでしょうか。薬が嫌い、病院が怖いという気持ちは確かにわかりますが、それを乗り越えることが、直面している困難に打ち勝つための第一歩であるとしたら、それでもまだ投薬を拒めるでしょうか。

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