春に溢れかえる病院

もはや日本人最大の課題となっている「花粉症」。毎年シーズンになると辛い思いをする人が多いのではないでしょうか。「花粉」と耳にするだけで憂鬱になるということはないでしょうか。

花粉症は病気ではありません。花粉に対する私たちの身体が起こすアレルギー反応です。ただ、症状としては日常生活が不便になるほど顕著にくしゃみや鼻水、伴って頭痛などが発生します。大変なストレスで、なんの対処もしなければまともに生活することすら難しくなるほどです。そんな私たちにとって、花粉がいつから飛び始めるのか、シーズンはいつまで続くのかということはその時の最大の関心事でもあります。

その「シーズン」に差し掛かると、病院はそれら花粉症に悩む人で溢れかえります。医師の診断を受け、薬を処方してもらうためです。もちろん、医師の診断がなくても薬局などで購入することができる薬もあるのですが、より特化した治療薬を求めて私たちは病院に通うのです。それは半ば季節の風物詩とでもいえるようなもので、都会であればあるほど花粉症に悩む人が多くなっているようです。

花粉症であれば病院で薬を処方してもらいたくなる気持ちもわかるものです。花粉症でない人間にとって、花粉症がそこまで深刻なものなのかどうかわからない気持ちを抱いてしまうのも理解できます。ただ、毎年その時期に病院が溢れかえるということ自体には、眉をひそめざるを得ません。

より自分にあった薬、より自分に合った治療法を人は求めます。自分の身体は人とは違うから、自分に適した薬、治療法を求めるという気持ちはわかるのです。それらは私たちにとって「自分に合った洋服を選ぶ」ことと同義かもしれません。人にはそれぞれ人にあった方法があるはずだということです。ですが、そのような人が集まった「病院」では、その時だけ他の病人の方が長時間またなければいけないという自体に陥っているのです。

花粉症では死にはしません。つらい症状はわかります。一刻も早く自分にあった薬で症状を緩和したいという気持ちも深く理解できます。ですが、それによって他の方が診察を受けることができないという状態に陥る病院もあるのです。それはまるで年末年始の郵便局のようにパターンが読めていることなのかもしれません。ですが、郵便局はアルバイトで増員することができても、病院はそんなに簡単に季節の対応ができるわけではありません。

健康は美容とは違います。自分ににあった洋服を選ぶように、自分にあった薬を選びたいのはわかるのですが、病院の本来の意味というものを考えてみたいものです。病院はなんのためにあるのか、病院はどうしてそこにあるのか、考えてみたいのです。本当に診察を必要としている人が長時間待つということに耐えられないということがあるのです。花粉症を我慢しようというわけではないのですが、私たちはあまりにも安易に病院を便利に考え過ぎているのではないでしょうか。本当はもっと病院を、医師を必要としている人がいるのに、あまりにも簡単に病院を訪れていないでしょうか。

花粉症はひとつの象徴でしかありません。市販のすべての薬を試した後、どれも合わないから病院にいくのか、「病院の薬が良い」と盲信して病院に通っているのか、どちらなのか少し考えてみてもいいのではないでしょうか。

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