医療は技術、発達していることは幸運

生物としての私たちの身体の構造は有史以来そこまで変わってはいません。何千年という時の流れだけでは、生き物はそこまで変異するものではありません。

たとえ一時的に変異したとしても、環境に適応できなければ淘汰されます。私たち人類は「社会」を持っているため、生きていくための「環境」は人の輪も含まれます。人と少し違うだけで虐げられる時代もあったことでしょう。人と違うだけで生きていくことができなかった人もいたでしょう。ですから、私たちは自然と今の身体のまま繁栄してきたのです。

私たちの身体の構造は有史以来そんなに変わってはいないものの、私たちの技術は格段に進歩しました。私たちは自分たちの身体の構造を深く知っています。怪我をした際の治し方、病気に罹った際の治し方、さまざまなことを知っています。産まれる時代が少しずれていれば、それこそ100年レベルでずれていれば、治るものも治らなかったと考えられます。私たちは時代を経るごとに自分たちに都合の良い技術を発展させてきました。

それは「考え」も同時に進化しています。未だ一部の地域で紛争は絶えないものの、世界を巻き込む大きな戦争などは起きてはいません。それぞれ国がそれぞれの権益を維持しつつ、相互に発展できるような工夫を凝らしているのです。それは「国境」が薄れてきたことを意味しています。地球を飛び出し、宇宙のことを考えるようになり、また地球の内部に目を向け、自分たちのルーツやこれからどこへ向かうのかということを考えるようになりました。私たちは持っている「知識」、「叡智」を平和のため、人の幸せのために使うようになったのです。

考えが変わったとしても、生理的な私たちの身体の構造は変わるものではありません。私たちは同じ身体で考えを入れ替えるだけで、まるで違う生き物になったかのような振る舞いになるのです。精神と肉体があってこそ、私たちです。生物学的な身体の構造は同じでも、「考え」や「信念」は進化させることができるのです。

私たちに必要なことは生物学的な進化ではありません。考えを昇華させることだったのです。それはこれからも変わりません。命に対する考え方、人と自分の関係に対する考え方、共生とはなにか、繁栄とは何か、生きることの意味とは何かを、これからも考えていく必要があるのです。それぞれの国の文化を活かしつつ、守りつつ、世界が手を取り合うためには何が必要か、不幸な死をどれだけ減らすことができるのか。

医療はそのために存在しています。自分たちの身体を都合よく弄ぶために存在しているわけではなく、自分たちの誰もが健康的で文化的な生活を営むための医療なのです。私たちの進化は肉体的な変化ではありません。「考え」の変化なのです。

考えを進歩させることで相互に違った振る舞いが出来る、自然に対して違った振る舞いができる、未来に対して残せるものが変わってくるのです。遺伝子的に自分たちのことを解明することで、治療できなかった病気を治すことができるようになるかもしれません。それによって新しい未来が作れるのです。人がひとり長く生きるだけで、素晴らしい発見があるかもしれないのです。医療とは、未来をつくる技術でもあります。

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