セカンドオピニオンとは何か

医療の入り口は、「医師の診断」です。それはその診断を下すために厳しい勉強を経て、困難な試験をクリアし、職業としての「医師」をまっとうすることができる人のみが下せる判断です。

ですが、「医師」も人間です。完璧な人間などはいないことは誰もがわかっているように、「完璧な医師」という存在もまた、残念ながら存在しません。人間だから診断を誤ってもいいというわけではありません。医師が人間だからといってすべての診断が誤りであるわけでもありません。「病院」という人の健康を維持するシステムの中では、そのような「人」の診断や判断が正しいものなのかどうかを裏付けるためのバックアップシステムがとられていますし、重篤な患者に対しては複数の医師が同時に診断を行ったり、治療方法を研究したりすることが日常化しています。

それでもどうしてもなくならないのが「医療ミス」であり、その医療ミスによって命を散らした人もいます。その度のその病院のシステムに問題があるのではないか、医師に問題があるのではないかと社会的に騒ぎになるのですが、その結果なにがどのように改善されたのかということは私たちの耳には届いて来ません。それは「医療ミス」というニュース自体がセンセーショナルであり、それを発端にさらにその病院、その医師のアラを探し、見出しとして、ワイドショーとして、人の目を惹くように報道することがすべての「マスコミ」の体質があります。その病院でどのような改善がされたのか、ということの方が大切ではあるのですが、それはニュースとしてはあまりセンセーショナルではないので、騒ぐだけ騒いで取り上げないのです。

さらに言えば、私たちがニュースなどで観ている記者会見の様子も、終始あのように騒がしいわけではないのです。粛々と進んできた記者会見のなかで、たまたま釈明側が言葉に詰まったり、記者たちが紛糾したりした部分だけが報道されています。その方が「面白い」からです。それ以外の部分、真面目に応答している部分などはカットされているのです。

本当はすべてのことに理由があり、専門的にも説明できることが多々あるはずなのですが、私たちの耳には入ってこないのです。ですから、「医療ミス」ということに対して私たちは過剰な反応を持っているのです。

ですが、問診しかせずに診察された場合など、こちらの答え方などが悪ければ、しっかりとした診断をくだすこともできなくなります。そのため、「自分がしっかりとした受け応えができなかったから」という意味での「第二の診察」は有効かもしれません。その日と翌日で体調にムラがあったり、その時はたまたま症状がおさまっていたり、本当に伝えたかったことが全然伝えられず、医師の診断に対して「本当にそうなのか」という疑問がある場合、違う病院で診察を受けることは必要でしょう。自分の身体を一番理解できるのは自分だけということではないのですが、人の身体は日によって体調が違うということはザラにあるため、そのようなことを理解した上での医師の診断の受け止め方があるのです。自覚症状として開ききらかにおかしいということであるのならば、最初の診断は誤りなのかもしれません。それは「誤診」ではないのです。人の身体のムラに拠るところなのです。

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